ゆるゆる読書感想文 
   堀辰雄作品のあらすじと気ままな感想を書いてます。
だいたい作品の発表された順にならべてます。
作品の完成度や学術的評価とはまったく無関係に、
あくまでも管理人の好き嫌いのみに基づいた、
ワガママな読み方・かたよった解釈の仕方をしています。
なのでなんの参考にもなりません。
あと、あらすじや感想でふつうにネタバレしてますのでご注意を。

※堀作品以外の感想文(芥川作品等)も予定してます、がいつになることやら
 



聖家族恢復期あひびき燃ゆる頬馬車を待つ間麦藁帽子旅の絵


※作品ジャンルは「堀辰雄全集」筑摩書房版を参考にしました。しかし堀作品は小説・小品・随筆の線引きがかなりあいまいなので、あまり意味がない。
※「試読」は「優しき歌〜心に響く堀辰雄の言葉〜」コーナーにリンクしています。(別ウインドウで開きます)作品のごくごく一部を抜粋して紹介しています。
※定番度(世間的認知度)は★5つ満点で適当に管理人が判断しています。お気に入り度も★5つ満点で管理人の独断と偏見に満ち満ちた採点になってます。

    堀辰雄作品 
タイトル  ジャンル   発表年  定番度 お気に入り度 
   小説  昭和5.10  ★★ ★★ 
あらすじ:主人公は恩師A氏の遺作展覧会に氏がもっとも愛した「窓」という絵画を出品するため、その所有者である盲目のO夫人の別荘を訪れる。O夫人はA氏の思い出話を通じて主人公と打ち解けるが、その絵はすでに描かれた当時の状態ではないという。薄暗い場所に秘蔵されていたその絵には、主人公が以前見た時にはなかったA氏の顔が浮かび上がっていた。
感想(※雑文コーナーおとしぶみ「堀辰雄との縁」で書いた内容とわりとカブってます)堀辰雄と師の芥川龍之介、その思い人片山広子と娘総子の関係をモデルに描いた堀の出世作「聖家族」のプロトタイプともいうべき作品。私はこの作品を高校の国語の授業で習い、A氏が展覧会のセザンヌの絵を指でゴシゴシこすり、緑に染まった指を主人公に見せ「こうでもしなければ、この色はとても盗めないよ」とささやく回想シーンがとくに印象に残った。故人として記号的に存在するだけのA氏の素の顔がみえる唯一のシーン。このA氏のモデルが芥川龍之介であることをあとで知って、私はおののく。色のついた指をみせてニッと笑う(読み返してみると笑うという描写はない。でも私の頭のなかではニッと笑ってた)A氏の顔を、私はモデルが誰とも知らないまま、芥川その人の顔で思い描いてたから。私は私の直感力(まぐれともいう)に感動し、堀辰雄との運命を一方的に感じ、以降どっぷりハマりこむこととなる。そういう意味でこの「窓」という作品は、私にとって堀辰雄の世界へはじめて開かれた「窓」ともいえる、ちょっと特別な存在。    
 聖家族   小説  昭和5.11 ★★★★  ★★★★★ 
あらすじ:「不自然な死」をとげた九鬼の葬儀に向かう途で細木夫人は九鬼が可愛がっていた少年・扁理と会う。扁理は細木夫人と九鬼が思いを寄せ合っていたことを知り、細木夫人の娘・絹子に心惹かれるが、九鬼のように傷つけられる前に彼女らから遠ざかろうと好きでもない踊り子と付き合い、それにも疲れて、ひとり旅に出る。見知らぬ海辺の町を歩きながら、扁理は死んだ九鬼が自分のなかに生きていて未だ強く自分を支配しており、彼の死を見つめることで自分の生が脈動を始めていることに気づく。一方絹子から扁理が死ぬのではと問われた細木夫人は、たしかに扁理には九鬼が憑いている、でもそのために反って彼は救われると、古画に描かれた聖母のような「古びた神々しい顔」で応える。 試読
感想:「死があたかも一つの季節を開いたかのようだった」この冒頭文も有名な、堀辰雄の出世作。芥川龍之介の死をテーマにした、当時としては画期的な心理小説。九鬼が芥川で、扁理は堀。細木夫人と絹子は片山広子・総子の母娘。九鬼−細木、扁理−絹子という二世代カップルと、細木−絹子、九鬼−扁理という「似てない」親子/師弟の四角関係が数式のように明瞭に説明され、彼らの心理のゆれ動きだけで物語が展開される。
 ただしこの主要人物らは作者いわく「将棋の駒」。ストーリー進行のため、より記号的につくられたフィクションのキャラクター。実在の人物、実際の出来事そのままを書いてるわけではありません。堀と総子は実際には両想いではなかったし、広子は芥川に対して細木夫人のようにストイックではなく、かなりガツガツ迫ってた。現実よりも都合よく理想的に描かれすぎてる節はある、とくに女性陣については。
 ただ、孤独に苦しむ扁理が死んだ九鬼を自分の内に感じて自分の生を自覚するという、これのみは堀自身の実感からくるノンフィクションの心境といえる。また九鬼が「この少年(扁理)を非常に好きだった」という点も。扁理はとにかく九鬼ありきで、細木夫人を慕うのもその娘絹子を好きになるのもすべて九鬼の真似っこで、九鬼のためにみずからすすんで傷つき苦しんでいるようにもみえる。そんな彼の夢のなかに九鬼が出てきて、ラファエロの「聖家族」の絵をみせる。その聖母子のイメージは、やがて細木夫人と絹子の姿に重なっていく。近づこうとすればするほど自分を傷つけ苦しめる彼女らの存在を聖母子として昇華させるクライマックスは美しい、でも彼女らをきれいな額縁のなかに閉じ込めたことで、それ以上の恋の発展はなくなったようにも思われる。芥川が歌を詠むことで広子との現実の恋愛を拒んだように。
 この作品において、恋そのものはあまり重要ではない気がする。主人公は死者と見つめ合い、母と娘は互いに向き合うことで、やっと自分の居場所を捉えた。最終的にセットになったのは男女ではなく女女(母娘)と男男(師弟)。女たちは聖なる母子として美しい画のなかに収まり、九鬼と扁理は互いの死となり生となりひとつの人格として重なった。恋愛を通して見つめていたのが実は自分自身の心で、そんな自分の未来形であり過去形である近しい存在(母娘/師弟)とさらに強く結びつくというのがこの話のオチ。恋愛が成就するかどうかはまた別の話。というふうに私は読んだ。
 現実の片山母娘はかなりアイタタな感じで好きになれないが、この小説の彼女らのキャラはいいあんばいで記号化(理想化)されているのでけっこう好き。この一作で片山母娘ものがすっぱり終わればもっとよかったのに。これ以前もこの後もくりかえしくりかえし作品に彼女らモチーフが出てくるから「もうたくさんです」って思っちゃう。
 ただ、堀辰雄はこの作品に限っては、彼女らよりもまず芥川のこと、そして自分のことを書いておきたかったのではないかと思う。彼女らの存在をむしろダシにして、師との絆をたしかめる。死者は生者のなかに生きていると。亡き師が「憑いて」いることを、いっそ何よりの誇りにして。
 この作品を脱稿したあと、堀辰雄は力尽きたように倒れ、生死をさまよう。そして恩師の霊前にと、「聖家族」を真っ白の装丁(タイトル文字すらない)で出版する。芥川のために、そして芥川を継いで生きていく自分のために。その純白の心意気に作品以上の価値をみて、私の評価は満点の★5つ。
 恢復期  小説  昭和6.12  ★★★ ★★★★ 
あらすじ:結核に罹った主人公の鋭敏な神経を通して描かれる療養生活。第一部は高原の療養所、第二部は軽井沢の叔母の山荘が舞台となる。気の詰まる孤独な療養所で幻覚や不眠に悩まされていた「彼」は、静かな山荘の暮らしでようやく心身ともに落ち着きを取り戻す。そんなある日の朝、浅間山が噴火。その活発な噴煙を山荘から眺めながら、彼は一年前、同じようにそれを見上げていたまだ健康だった自分の姿を思い出す。 試読
感想:とりとめのない闘病記。いや闘病記なんて言えない。まるで闘ってない。幻覚も不眠の苦しみも、すべてがけだるい夢のように描かれて、切実さがない。芥川龍之介が「歯車」で生への怯え、死への恐れを不気味な幻覚として狂おしいタッチで描いたのとくらべると、何だかひとごとのように冷静で、ずいぶんとのんびりしていらっしゃる。あきらめの境地というか虚無的というか。死にも生にも執着していないかのよう。
 ところが初夏の訪れとともに体が恢復しはじめるや、このアンニュイ姿勢が一変する。小鳥の囀りを楽しみ野の花の香りを慈しみ、「子供のようにいそいそと」日光浴の露台に出てゆくようになる。驚くべき素直さで、草木のような素直さで、生命の喜びを感じ出す主人公。ここで終わっていればわかりやすいハッピーエンドなんだけど…。
 物語は第二部、山荘の静養生活へと移る。穏やかな山荘の暮らしは、そしてこの地での人々とのふれあいは、彼の心身を着実に癒していく。それは少女のふとした眼差しの美しさや薄荷の強い香りや、本当に何気ないものばかり。そんなある日、浅間山が噴火する。その力強い噴煙をみつめながら、かつて健康だった自分、そして喀血した時に死への恐怖からその血を呑み込んでしまった「醜い」自分を思い出した主人公は、やさしい叔母に「そんなに僕が生きていればいいと思いますの?」と問いかけそうになる。恢復期といいながら、ここにきて急にネガティブ発言。でもこれが、このみじめな自分への不安と悲しみこそが、生も死もまぼろしのようにぼんやり眺めていただけの彼にやっと芽生えた「生きている」実感なのだと思う。
 物語のクライマックスに配置されたこの浅間山の噴火は、ひよわな自己に対する自然の圧倒的強さ、不変の生命力の象徴。同モチーフが芥川の「或阿呆の一生」の「倦怠」の章にも登場する。芒原を歩きながら、生活欲なんてなくなった、あるのは制作欲だけと話す「彼」(芥川)に、制作欲もまた生活欲でしょうと返す「或大学生」(堀)。「彼」は何も答えず、芒原の上に姿を見せた噴火山の威容をながめている。この「彼」もまた無言のうちに、そんなに自分が生きていればいいと思うのか、と問うていたのかもしれない。
 そんな痛ましい姿をただみつめる側だった「或大学生」=この物語の「彼」(堀)は今、世間は醜い、自分も醜いといって生活を拒み死を選んだ「彼」(芥川)と同様、生き続けることの醜さや不安をひしと感じている。でも、この彼ならそれらを呑み込んで、きっとどうにか生きていく。たとえ暗い灰が降り注いでも、また晴れる日を待てる。感受性の異様に鋭敏な、それでいて妙にのんきで大らかで、自然や他者にひそむ美しさを素直に見いだす彼なら、太陽のもとに出るだけで、季節がめぐるだけで、この世のほんのわずかの美しさだけで生きていける。そんなふしぎな生命力を感じる作品。
 なので、終始けだるい起伏のないストーリーなのに読後感はわりといい。技巧を凝らした「聖家族」のあとにこんなマイペースな作品が来たので文壇での評判はイマイチだったようだけど、私は好き。
 ちなみにここに出てくる叔母のモデルは舞台設定的には片山広子っぽいけど、キャラクター自体は架空の人物で、彼を「クラシックな愛」で癒す母なるもの、女性なるものの象徴。母を亡くした堀辰雄に、そんな彼だけのための女性は、この時彼の頭の中にしかいない。でも数年後に矢野綾子、そして多恵子との出会いが待っている。     
 あひびき  小説 昭和6.12  ★★   ★★★
あらすじ:散歩中の少年少女=小さな恋人たちは西洋人の住んでいた空家をみつけ、庭に入って中を覗いたり階段を登ったりと冒険心を起こすものの、少年のためらいによって早々にその場をあとにする。自分の気弱さを恥じ、歩きながら急におしゃべりになる少年は、さっきのような空家でお姫様とその恋人があいびきをしていたという小説について語り出す。少女は頬を染め、それをみた少年もまた顔を真っ赤にする。
感想:飴玉のようにカワイイ小品。シャイな少年もカワイイし好奇心旺盛でちょっと生意気な少女もカワイイ。とにかく全体的に甘酸っぱくてカワイイ。「何となくうっとりするような、五月の或る午後」という時間設定がまた効いている。     
 燃ゆる頬 小説   昭和7.1 ★★★★  ★★ 
あらすじ:高校に進学し寄宿舎に入った「私」は、同室になったひとつ年上の病弱な同級生・三枝と、友情の限界を越えそうなあやうい関係になってゆく。夏休み、「私」と三枝は小旅行に出かけるが、「私」は旅の途中ほんの少し言葉を交わしただけの少女に心奪われてしまう。秋になり、三枝は病状が悪化し入院、そのまま死亡。「私」はまるで未知の人のことのようにその知らせを受け止める。数年後、ひどい喀血でサナトリウムに入った「私」は寄宿舎の頃のことを思い出し、自分があの頃の薔薇色の頬を永久に失ったことを痛感する。 試読
感想:腐女子のみなさんお待たせしました!元祖BL(ボーイズラブ)!…なんて浮かれたアオリ文で紹介されがちな、少年期の同性愛を描いた短編小説。しかし「燃ゆる頬」という情熱的なタイトルとは裏腹に、その内容は至極淡々としたもの。性の目覚めを扱ってるのに露骨なエロ描写はひとつもなし。顔が近づいて頬が火照ったとか、手を握ったとか、花壇の花のめしべの動きがなんかイヤラシかったから握りつぶしちゃったとか、その程度。美少年三枝とふたりで宿に泊まっても、彼の背中の脊椎カリエスの瘤をめずらしそうに撫でるだけ。それ以上のことはない。あったとしても書かない。堀辰雄が恥じらいの作家と言われるゆえん。ひたすらぼかして、淡く淡く。
 水彩画のようなこの淡さはしかし、どぎつい現実を薄めた結果というわけではなく、もともと水のように薄いものに、物語性を加えるためむしろいろんな色を加えていったという感じ。男性が書いた克明な性の告白記といよりも、昭和の少女漫画家が描く耽美系マンガのような、いかにも抽象的、感覚的な小奇麗さ。つまりフィクションっぽい。もちろんベースとなった何らかの実体験もあるだろうけど…実際、学生時代の堀辰雄は超カワイイ美少年で周囲から騒がれたというけれど、当人にその気はまったくなかったようだと同寮の神西清が語ってるし、そういう日常の狂騒を客観的な観察者の目でもって眺めていたのだと思う。なんだかんだ言われてるけど堀さんは基本ノーマルです。(おかしなのはまわりのやつらだ)
 しかし腑に落ちない点もある。「私」は三枝の病弱な美しさをうらやみ、彼になり替わりたいと望む。美しいもの・女性的なものを男性の目線で愛でるのではなく、そのもの自体になってしまいたい、という願望。そこがなんだかよくわからない…男性の同性愛にそういうのはアリなの?むしろ百合(女性の同性愛)っぽい気がしないでもない。堀辰雄はノーマルだけど女性的と言われればやっぱり女性的かも。この「なり替わりたい」願望は、彼の他作品にもちょくちょく顔を出すので、私にとっては今後の宿題。
 いずれにしても熟練の腐女子のみなさんならともかく、ふつうに読めばこれはべつに甘くもないし格別萌えもしない、ただただじんわり苦い青春小説。少年期、とくに異性と隔離されて育つこの時代の少年たちのかりそめの同性愛なんぞ、来たるべき異性愛の前にはなんの力も持たない、たったひとりの女の子との出会いでかくもたやすく消え失せちゃうものだというシビアな現実を、淡々と、しかしわりと容赦なく描いてる。物語のラスト、成長した「私」と、三枝に似た少年とのサナトリウムでの邂逅で、多感な思春期の記憶は心のどこかにいつまでも残っているのだということがさらりと明かされはするけれど。
 私としては、少年同士の疑似恋愛というものにイマイチ共感のしどころがなく、好きとも嫌いともいえない困った作品。ただこの淡さをきわめた美しさは、やはり堀辰雄ならではのテクニック。同じ性の目覚め&同性愛を描いた三島由紀夫「仮面の告白」を読んでドン引きした(モロ出しなんだよ!なにもかも!)私には、やっぱり堀辰雄のほうが合っている。
 馬車を待つ間  小説  昭和7.5  ★★ ★★★★ 
あらすじ:山間の温泉宿に生まれてはじめての一人旅に出かけた「私」は、混み合う乗合馬車に揺られ、宿の素朴な女中たちの世話を受けながら、東京で疲れて感傷的になっていた心が少しずつ癒えていくのを感じる。帰りの馬車の待合所まで鞄を持って来てくれた宿の娘と何気ない会話を交わすうち、この宿を紹介してくれた友人Sとこの娘との仲を察した「私」は、この娘のいじらしさに、そして友人Sへの祝福と羨望の思いに心が躍る。
感想:ほっとひと息つくような小旅行の様子を描いた小品。春の山の象徴としてあらわれる躑躅(つつじ)の花のイメージが、この作品を終始明るく彩っている。あいかわらずのアンニュイ&ナーバス主人公ながら、まぶしい自然とほのかな旅愁と人の情のやわらかさに素直に身を任せ、癒しと開放感を得られるこの小説は、「燃ゆる頬」「麦藁帽子」といった自己完結系の内向的な作品が多いこの時期にあって、ちょっと異彩を放ってる。のちの名作「大和路・信濃路」シリーズの萌芽も感じられて、躑躅(つつじ)の咲くころに読み返したくなる、初期の堀作品のなかでもとりわけ好きな一作。
 麦藁帽子  小説  昭和7.9 ★★★★  ★★
あらすじ:夏の休暇を海岸で過ごすことになった「私」は、避暑地の生活を幼なじみの少年らと楽しみつつ、彼らの妹(「お前」)に寄せるひそかな思いのために心を乱される。麦藁帽子のよく似合う無邪気な少女だった「お前」は、翌年の夏には見ちがえるほど憂鬱に大人びて、麦藁帽子もかぶらず髪を若い女のように編んでいた。そしてその横には病弱そうな青年が寄り添っていた。失恋を予感した「私」はそれまでのスポーツ三昧から一転、飢餓者のように文学にのめり込み母を心配させる。三年目に訪れた海岸の風景は、そんな「私」にはひどく色あせて見えた。(エピローグ)震災の避難所で「お前」と再会した「私」は、天幕の片隅で寄り添って眠りながら、「お前」の髪に頬をうずめ、麦藁帽子のにおいを思い出す。早朝、「私」の父がやってきて母の死を告げる。「お前」は兄たちとともに荷馬車に乗りこみ、遠い田舎へと出発していった。 試読
感想:好きになった異性のことで頭がいっぱいになってる少年の心理を描いた短編小説。少女の名をはじめから終わりまで一切出さず、「お前」という呼びかけに徹してるのが、内的世界から一歩も出られない少年の狭く尖った感性を象徴している。「燃ゆる頬」よりこっちのほうがよほど性の目覚めをリアルに描写してると思う、肉体面ではなく心理面において。女性的作家(とみなされがちな)堀辰雄の「男」の側面がおもてに出てる。この子と決めたたった一人の少女へ向ける一喜一憂、都合のいい妄想、むなしい強がり、空回りする自己アピール、そういう思春期少年のアイタタな心理の描写がなかなか容赦ない。しかしやっぱり堀辰雄、そんなギラついた感情を下品なものにせず、きわめて甘美な筆致でメランコリックに描き出す。(そこが読者の好悪の分かれ目でもある)
 「燃ゆる頬」はフィクションっぽく感じるけれど、この「麦藁帽子」は、本当に体験したこと、思ったこと感じたことをほとんどそのまま書いてるんだろうなと思わせる、いたたまれないような切迫感がある。実際、この作品に「お前の小さな弟」として登場する内海妙(ヒロインモデル)の実弟は、「この小説はほとんど事実(エピローグ以外)」と述べている。
 しかしこの小説が一筋縄でいかないのは、初恋の少女への思いと並行して、素直に接することができなくなってしまった母親との関係が語られていること。物語の最後、「私」は震災によってこのふたりの女性とそれぞれ異なるかたちでの別離を迎える。少女へのひとりよがりな独占欲と、母親への甘えからくる反発心。まるで正反対に向かうふたつの思いは、ぐるりと一周してひとつにつながる。震災というかたちで唐突に断ち切られたそれは、遅かれ早かれ、少年が大人になるにあたって、いずれ決別せねばならない愛だった。この別れと痛手に備えるかのように、彼は読書に没頭し、また年上の詩人に導かれ、より広く新しい世界への一歩を踏み出す準備をはじめている。
 「ボンボンの味のする少年時代の小説(堀辰雄談)」とみせかけて、実はこれもまた何ともビターな作品。自分だけの甘くぬるい世界を捨てるのは、ほかの誰かを求めるのは、かくも苦しくにがいもの。恋愛小説として気軽に読み流せないシビアなテーマが、この作品には隠れてる。
小説 昭和8.1  ★ 
あらすじ:赤面症のため「吸取紙」という綽名をつけられている少年「路易(るい)」は、寄宿舎で上級生にいじめられ、またある同級生からは思いを寄せられる。大学に入学してからは貧乏だが活気のある友人たちと親しく交流するが、盛り場の女性を巡る問題で心を悩まされる。その一方、年上の詩人に連れられて避暑地を訪れ、ある上流階級の少女に羨望をつのらせる。さまざまな体験と人々との出会いを重ねながら、路易は不安定な自己を実感してゆく。
感想:まずつっこむべきは主人公の名前「路易」。ルイて。DQNネームのはしりですか?ファンの私ですら「いや、それは」と思っちゃう。「聖家族」の扁理(ヘンリ)もたいがいだし。でも若さゆえのあやまち、赤っ恥って誰しもあるよね!この当時の堀さんだって若かった。彼はこの作品とこれを書いた頃の自分を、振り返りたくもない黒歴史と思ってる。しかし、「どうしてもこれを書いてしまわなければ他のものには手がつかないような気持」がしたともいう。
 そんな問題作「顔」は、実はそんなにめちゃくちゃなことが書いてあるわけではなく、数年前に書かれた「不器用な天使」(同人「驢馬」の仲間とカフェの女給をめぐる恋愛騒動を題材にした短編小説)と似たり寄ったり。さらに「ルウベンスの偽画」「燃ゆる頬」「麦藁帽子」あたりのネタとも一部カブってる。つまり初期作品のざっくりとした総集編みたいになってる。
 すぐに顔がぱあっと赤くなる繊細な少年路易は、寄宿舎の病弱な同級生、地下室のカッフェの娘、ルウベンスの絵のような令嬢…彼ら彼女らに恋をするというよりは、相手に己を投影してしまう。なり替わりたいと思ってしまう。自分とまったく異なるタイプの友人・に、かつて自分をいじめていた上級生の顔を見出して、そんな彼のそばでのみ自分を取り戻す。薔薇色の頬を失って、髪を切って、縁なし眼鏡をセルロイドの縁の眼鏡にかけかえて、顔の印象は変わっても、心の中身は彼自身の思うようには変えられない。そして少年は自分がいつしか血色のよくない悲しげな大人になっていることに気づく…。
 思うに彼はこの作品をもって、己の少年期の総決算、かつピリオドにしようとしていたのではないか。みそぎの人形(ひとがた)にケガレを託して川に流すように、書いて作品にすることで自身から切り離し、それらを客観的な「過去」にしようとしたのではないか。
 しかし、人形とちがい、作品は残る。人目に触れる。そして彼をさいなむ問題は、そう簡単には解決しない。この時点の彼は迷いの只中。他人に怯え、過去にこだわり、明るい未来はまだ見えない。私は基本的に「風立ちぬ」以降の堀辰雄と堀作品が好きなので、虚勢を張るのに疲れて破れかぶれになってるようなこの時期までの彼の作品は正直読むのがしんどい。しかし、この時期にこれだけドロドロ鬱々と苦しんだから、あの悟りを開いたかのように清々しい後期作品が生まれて来たのだともいえるのかも。人生に無駄なことは何もない。
 旅の絵 小説   昭和8.9 ★★★  ★★★
あらすじ:トランクひとつ持たない風変わりな旅行者の「私」はクリスマスイブ前日に神戸に到着。探し当てた古いホテルは経営者も客も外国人ばかりの落ち着かない雰囲気だった。翌日、地元の友人T君の案内で、年の瀬の神戸の街を歩いて回る。深夜に戻ったホテルの空気は陰気に澱んでいて、いよいよ気詰まりになる。扁桃腺も痛み出し、4日泊まったのち堪えかねて須磨へと移る。東京に戻ってから、ホテル滞在中に目にしたハイネ詩集の「五月に」を辞書で訳してみて、ハイネ好みの甘美な詩だと思い込んでいたものが、実は心臓の破れるような絶望をこめた詩だったこと、そしてその思いは旅行初日の自分の気持そのままであったことに気づく。 試読
感想:昭和7年末、堀辰雄初めての神戸行を題材にした旅行記。しかしこちらは「馬車を待つ間」のような晴れやかな癒しの旅ではない。その心に垂れ込めた暗鬱な雲は深刻な重さで彼につきまとい、たとえどこへ逃げようともたやすく振り切れそうにない。
 当時の彼は、友人丸岡明言うところの「精神的危機」にあった。師・芥川の死を完全に乗り越えるための最後の試練ともいうべき、片山母娘問題に直面していた。それまで親しく接していた片山総子に突然憎まれ出し(この件について総子の一方的な言い分だけ取り上げて堀辰雄を悪者呼ばわりする向きがあるが、平等にみれば総子の側に相当身勝手な感情の問題がある。当時の文壇も総子の言動にあきれ堀を気の毒がる意見が多かった。ここで長々触れることではないかもしれないけど彼の名誉のためにどうしても述べておきたい)、敬愛するその母広子との関係にも齟齬が生じ、また創作にも行き詰まりを感じていた。
 そうして逃げるように東京を脱出し、選んだ旅先が神戸だった。それまでも軽井沢や伊豆方面には足を運んでいたけれど、彼にとってはこれが初めての遠方への長期旅行。少しでも日常を、東京を忘れるために、異国情緒豊かな、はるか海外へ開けた港の街である神戸を選んだのは彼にとってはごく自然なことだったのだろう。
 ところが彼の泊まった古ぼけたホテル(外国人ばかり)はなんともギクシャクと居心地が悪く、夏の軽井沢ホテルで体験したような気軽なエトランジェ気分はとても味わえない。開放感を得るためのはずの旅が、ますます彼の神経をすり減らす。しかしこれがむしろ彼の沈んだ心にマッチして、独特の旅愁を生んでいるといえなくもない。
 マイナスの状態をも味わい尽くす、それが堀辰雄。過敏にはりめぐらされた好奇心で神戸の街をながめ、あるく。 親切なT君(竹中郁)の案内で、小道具店や古本屋をのぞきながら海岸通りを歩き、フランス料理店で牡蠣やらマカロニを食べ、南京町を通り抜け、山手の異人館の古色を帯びた風情を楽しみ、ユーハイム(ドイツ菓子店)でほっとひと息…。ううむけっこうがっつり神戸を堪能してる。ホテルでじっとしている間はナーバスだけど、歩きまわっている時の彼は実はかなり元気。後年の信州の散歩や大和路の旅でも意外なほどの健脚ぶりを発揮している。
 旅スケッチのようなこの作品に創作の余地はなく、体験したことをほぼそのまま書いてある様子。しかし事実じゃないことも書いてるぞ。シェパードに吠えられて「私はあんまり犬が好きじゃないのだ」。うそばっかり!犬大好きなくせに。しかしふだん好きな犬すら苦手に思えてしまうほど、この当時の彼は精神がまいっていたのだろう。ホテルの猫を抱っこして猫がゴロゴロ喜んでも、逆にさびしい気持になってしまってるし。
 そんな神経衰弱ホテルに四泊したのち須磨へと移ることになるのだけど、その須磨行のエピソードもできれば書いてほしかった。竹中郁に連れられて明石の稲垣足穂を訪ねた日の詳細を知りたい。堀辰雄とタルホがいったいどんな会話を交わしたのか、想像もつかない。よもや公に書けないようなトンデモトークになっちゃったんじゃあるまいな…タルホのことだし…
 甘ったるくて共感できないと思っていたハイネの詩が実は自分にぴったりの絶望の詩であったことに旅を終えてから気づいたように、しばらくたって見えてくることもある。旅人という漂泊のポジションから己の打ち沈んだ心を見つめなおすことで、彼が「精神的危機」から抜け出す何らかの糸口をつかんだことは確かなよう。この旅を題材にした「旅の絵」「鳥料理」等を書いて、彼はいよいよ作風転換の模索に入る。
 なんだかんだで神戸を気に入ったらしい堀辰雄は、十年ほど後の奈良旅行の際にもわざわざ足を延ばして再度神戸に立ち寄ってる。そしてまた竹中郁のお世話になり、神戸の街を歩いてる。戦後の開発や震災で当時の神戸とは様変わりしてしまっただろうけれど、ユーハイムとか南京町とか異人館とか、今でもよく聞く店名地名をたよりにいつか神戸「旅の絵」めぐりをしてみたいなあと、旅ぎらいで出不精の私らしくもなく、そんなことを夢見てる。
↓以下準備中しばらくお待ちください…
 美しい村 小説  昭和8.6〜
昭和9.3
 
★★★★   
     
風立ちぬ  小説 昭和11.12〜
昭和13.3
 
★★★★★   
     
 雉子日記 小品 昭和12.1   ★★★  
     
 幼年時代 小説  昭和13.9〜
昭和14.4
 
★★★★   
     
 巣立ち 小説   昭和14.1 ★★   
     
 おもかげ 小説  昭和14.5 ★★    
     
 「美しかれ、悲しかれ」 随筆   昭和14.12 ★   
 
エマオの旅びと 随筆 昭和15.1  
    
 姨捨 小説   昭和15.7 ★★★   
     
 木の十字架 小品  昭和15.7   ★★  
     
 晩夏 小説   昭和15.9  ★★  
     
 朴の咲く頃 小説   昭和16.1  ★★  
     
 四葉の苜蓿(クローバー) 小品 昭和16.10  ★★   
     
 菜穂子・楡の家 小説  昭和16.3〜11   ★★★★  
     
曠野(あらの)  小説  昭和16.12   ★★★★  
     
 大和路・信濃路 小品  昭和18.1〜
昭和19.1
 
 ★★★★★  
     
雪の上の足跡  小品  昭和21.3   ★★★  
     

 
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