おとしぶみ
管理人が無責任に好き勝手なことを書き散らかすコーナーです。おもにタワゴトと暴言で構成されています。
 
もくじ
 堀辰雄との(一方的な)(えにし)芥川龍之介の手紙5月28日の呼び名宮崎駿の「風立ちぬ」〜言霊としての「いざ 生きめやも」

宮崎駿監督映画「風立ちぬ」について…管理人の情緒が不安定のため、なぜか2種類のレビュー(感想文)ができあがりました。↓

「波風立ちぬ」〜「風立ちぬ」レビューのための長い長い前フリ
(感想文というより感想文を書くための自分向けの映画総括。いち堀辰雄ファンとしての葛藤、ツッコミ、ぼやき、グチ、寝言など。
んなもん読みたくねえという人はすっとばして下記の「美しかれ、悲しかれ」のほうのみお読みください)

「美しかれ、悲しかれ」
(とりあえず客観的視点で書こうと試みて、やっぱりよくわからなくなった「風立ちぬ」感想文)


 堀辰雄との(一方的な)(えにし)    2012.3
 私がいちばん最初に堀辰雄の文章に触れたのは、中学校の授業でとりあげられた「大和路・信濃路」の一節。(教科書ではなくプリント配布されたものだったと思う)暮れなずむ唐招提寺のエンタシスの柱に何気なく手を触れ、そこに残った日の光の温かみに気づく…というシーン。その描写のしみじみとした味わい深さは、それまで読んだどんな本からも得られなかった新鮮なもので、私は打ちふるえた。文章の筋ではなく表現に感動する初めての体験だったのだと思う。でも、その時脳裏に焼きついたのはその文章のみで、堀辰雄という作家の名までは記憶せず。それ以前に、教えてくれた先生が誰だったかすら今となってはおぼろげ。でも、先生の顔は思い出せないのに、その先生がこの一節を素晴らしい文章として嬉しそうに紹介していた様子だけは覚えてる。たぶん先生は堀辰雄が大好きだったのだろう。
 第二の出会いは高校生の時、こちらはもうちょっとはっきり覚えてる。一年生の現代国語の教科書の最初に載っていたのが堀辰雄の短編「窓」だった。登場人物は主人公の「私」、著名な画家で主人公の師であるA氏(故人)、盲目のO夫人の3人のみ。O夫人が所蔵する門外不出のA氏の絵を展覧会に出品してもらうべく夫人のもとを訪ねた「私」は、その絵に不思議なトリックが仕込まれていたことを知る…というストーリー。秘蔵の絵を見せてもらうため夫人の心を動かそうとする「私」は、自分だけが知るA氏の思い出話を披露する。ある名画の展覧会で、突然A氏がセザンヌの絵の一部を指でゴシゴシこすり出し、緑に染まった指をこっそり「私」に見せ「色を盗んだ」とささやいた…というもので、記号としてしか描かれない故A氏の素顔が垣間見える唯一のシーン。年齢も容貌も死因も明記されてないA氏のイメージは、どこかやるせない笑顔で私の脳裏に浮かび上がった。その残像はふしぎとしばらく消えずにいた。でもしょせん授業で習うだけの作品なのでそれ以上は気に留めず、作者の名も気にせず、もちろん「大和路・信濃路」の作者と同じであることにも気づかず。ただ、短い、しかもごくシンプルな構成のその作品を、なぜか先生は何週にもわたって丁寧に丁寧に教えてくださった。作中に出てくるO夫人の別荘の立地まで図解しながら。おそらく、この先生も堀辰雄が大好きだったのだろう。
 それからもう少し時が流れて高校三年生の頃、唐突に文学というジャンルに興味をもち、いろいろ調べ出した。調べるといってもお金もツールもない(当時ネットも普及してない)ド田舎の高校生のこと、図書室や書店で文学全集の解説や年譜、参考書や便覧をパラ見する程度。こういう時期の女子学生がハマる文学者ってだいたい限られてますよね、太宰治とか芥川龍之介とかあのへんの。とにかく自殺すりゃエライもんだと思っちゃう多感な(痛いともいう)年頃。当時の私も自殺するとはエライもんだと、ベタに芥川にハマろうとしていた。そうするうちに、ふいに堀辰雄に行きあたる。彼が芥川の弟子であり、「大和路・信濃路」そして「窓」の作者であるということが順次わかってきて、「窓」で描かれていた師弟のモデルが芥川と堀辰雄であるということがわかった時、私はおののいた。あの時私が適当に思い描いていたA氏のイメージは、まさに芥川の風貌そのものだったから。私はおののき、その単なる偶然に勝手に感動し、そして堀辰雄との運命を一方的に感じた。さらに、彼が亡き師芥川をみずからの内に生かすため、まったく逆の作風と生き方を選んだ人であるということを知り、ますます好きになっていった。自殺とか何だとかややこしいものに憧れる青臭い気持は、彼を好きになるにつれ自然となくなっていった。
 翌年、私は国文科の短大生となった。クラス担任は皮肉屋で感情表情の乏しい、ちょっととっつきづらい印象の男性教授だった。そんな教授がある日の雑談で突然、「このまえ念願の堀辰雄記念館に行ってきたんですよ!いや〜よかったなあ」と感に堪えないように熱っぽく語りはじめた。この教授も確実に堀辰雄が大好きなのだろう。私はひとりアタフタし、わっ私も堀ファンなんです!とカミングアウト、…できず。恥ずかしさもあったし、何より教授と語り合えるほどには当時まだ堀作品を読んでいなかった。なのでぜひ短大で深く学ばせてもらおうと思っていたのに、本命の堀辰雄はおろか芥川龍之介を扱う講義すらなし。しぶしぶ太宰治とか宮沢賢治とか中原中也の講義を受けた。いや好きですよ?彼らの作品も。授業はどれもだいたいおもしろかった。でも国文学って完全に趣味の世界なので、その後の就職や生活の役に立つとは限らない。むしろまったく立たない。断言してもいい。
 それでもその後まがりなりにも私はいったん社会人になり、少しはお金に余裕もできて、本もぼちぼち集め出した。でもやっぱり高い全集などには手が出ず、もっぱら古本屋を渡り歩く日々。その当時、神戸駅の地下には大きな古本街があった。そのなかの一軒で「現代日本の文学・堀辰雄集」(学研)をみつけ、レジに持っていった。すると店番のおじいさんが本を手にとるや急に顔をほころばせ「おっ!堀辰雄ですか」とつぶやいた。このおじいさんもまちがいなく堀辰雄が大好きなのだろう。私のような(当時はまだ)若い娘が堀辰雄好きと知ってうれしくなってしまったのだろうか。ふだん不機嫌そうにひまそうにレジのパイプいすに座ってるだけのこのおじいさんを思いがけず喜ばせたことは、私にとっても何だか誇らしいような愉快な出来事で、いまでもこの時買った「堀辰雄集」を見るにつけ、ささやかな幸福感がよみがえる。
 我が家の書棚からも、古くてもうボロボロになった堀辰雄の文庫本や新書が見つかった。古い家族の誰かが堀辰雄を好きだったのだろう。もう確かめるすべはないけど、読書好きで草花好きだった私の祖父も祖母もきっと堀辰雄が大好きだったはず。堀辰雄にまつわる私の直感はよくあたる。(妄想)
 そんなふうに、私はいままで歩んできた人生の道のりにおいて、実にさりげなく、しかしわりとまんべんなく堀辰雄好きに出会ってきた。なので堀辰雄というと、何はさておきまずは「愛される人」というイメージがうかぶ。だがしかし!愛される人であると同時に叩かれやすい人ということも、彼を知るにつれ判明してきた。憎悪や執念とはいちばん遠いところにあるあの人柄、あの作風。それをまるで親のカタキのように執拗に憎み、粘着し、存在自体が許せないと噛みつく人種がいるのです。なんなの?なんでよ。
 いや、わかってる。叩かれるのは人気の証。彼は駆けだしから芥川龍之介という文壇の王様に愛されて、長じては優秀な後輩たちから慕われて、没後は何度もブームになって、同業者(とそのファン)からの嫉妬をつねに一身に浴びてきた。互いにあれこれケチをつけては罵り合い貶め合い足を引っ張り合う、それが文壇というろくでもない世界。芥川は、そんな文壇(と東京)に殺されたようなもの。そこからそっと距離を置き、たどりついた自分のための小さな世界を小さな幸せで満たしていった堀辰雄という人の生き方に思いを馳せる時、私は何ともいえないやすらぎと、ふしぎな頼もしさを覚える。大きくはないけれど身を預けるのにちょうどいい木に寄りそって目を閉じるような、そんな穏やかな心地。
 近代以降の日本文学って、人生のつらいこと醜いことをよりつらく醜く書いて騒ぎ立てるのがとにかく偉くて、つらいこと醜いことを書かず、美しいものや日常のささいな幸せばかりを見つめようとする人は現実逃避とか軟弱者と軽んじられる傾向がある。でも、僕ちゃんはつらいんだ人生はこんなに醜いんだと声高に被害を訴えるのが、そんなに立派で強いことですか。少なくとも私は、人生が醜いとか自分が嫌いだとか、そんなわかりきったこと、いちいち大声で知らしめてもらわなくていい。おのれの不幸や醜さを叫ぶことなど誰でもできる。でもその不幸や醜さに何も言わず、むしろそれをじっと見つめて何だかいいものに変えていってしまえるような、そんな人は稀にしかいない。稀だから尊い。そういう人は大事にしたい。その人へもたれかかって、自分の心も見つめたら、つらくても醜くても愛せる何かを見つけ出せる気がする。これからの日本には、そういう人とそういう文学こそ必要になってくるのではないかと思う。そもそも文学って本来そういうものだったはず。なので、またそろそろ堀さんブームが来てもいいんじゃないのかな。
 

 芥川龍之介の手紙 2012.3
堀辰雄全集「来簡集」(筑摩書房)を参考にしました
 トップページでも地味にパロってるから、何はともあれ紹介しておきます。大正12年11月18日(筑摩書房全集によればこの日付。しかし10月18日とする資料もある。どっちだ!)、芥川龍之介が堀辰雄に宛てた最初の手紙です。
 冠省 原稿用紙で失礼します 詩二篇拝見しました あなたの芸術的心境はよくわかります 或はあなたと会っただけではわからぬもの迄わかったかも知れません あなたの捉へ得たものをはなさずに、そのまゝずんずんお進みなさい (但しわたしは詩人ぢゃありません。又詩のわからぬ人間たることを公言してゐるものであります。ですからわたしの言を信用しろとは云ひません。信用するしないはあなたの自由です)あなたの詩は殊に街角はあなたの捉へ得たものの或確実さを示してゐるかと思ひます その為にわたしは安心してあなたと芸術の話の出来る気がしました つまり詩をお送りになったことはあなたの為よりもわたしの為に非常に都合がよかったのです 実はあなたの外にもう一人、室生君の所へ来る人がこの間わたしを訪問しました しかしわたしはその人のために何もして上げられぬ事を発見しただけでした あなたのその人と趣を異にしてゐたのはわたしの為に愉快です あなたの為にも愉快であれば更に結構だと思ひます 以上とりあへず御返事までにしたためました しかしわたしへ手紙をよこせば必ず返事をよこすものと思っちゃいけません 寧ろ大抵よこさぬものと思って下さい わたしは自ら呆れるほど筆無精に生れついてゐるのですから どうか今後返事を出さぬことがあっても怒らないやうにして下さい
    十一月十八日                                                        芥川龍之介 
  堀辰雄様
 二伸 なほわたしの書架にある本で読みたい本があれば御使ひなさい その外遠慮しちゃいけません 又わたしに遠慮を要求してもいけません

 堀辰雄は当時まだ無名、というかただの19歳の高校生。対する芥川龍之介は文壇の若き王様。ただの高校生が送ってきた詩の感想なんて、うんまあ悪くないんじゃないの、知らんけど、ぐらいで十分のはず。それだけで誰もが舞い上がる。しかし龍之介はこの高校生に全力で応えました。「あなたと会っただけではわからぬもの迄わかった」「安心してあなたと芸術の話の出来る気がしました」舞い上がってるのは龍之介のほうです。「ずんずんお進みなさい」というフレーズは、まだ学生だった芥川が師・夏目漱石から送られた激励の言葉。芥川は同じ言葉を若い堀に与えることでかつての自分の初々しい感激を思い出し、また師という立場から、かつての漱石の喜びをも味わったのかもしれない。しかし漱石が文壇の長として芥川の登場を歓迎したのとくらべると、芥川はよりプライベートな感じで喜んでる。この出会いが「わたしの為に」喜ばしいことだと重ねてアピールした上、犀星の門下生の誰だかを引き合いに出し、あっちはダメだけど君はよし、みたいなあざとい比較までして堀をおだててる。そして、手紙のやりとりより直接会いに来るよう仕向けてる。「わたしの書架にある本で読みたい本があれば御使いなさい」こんな手紙もらって、本も好きに読めとか言われて、文学青年が釣られないはずがない。案の定、堀辰雄はこの後芥川のところにいそいそと通うようになります。おもてむきの性格は正反対、でも根っこの気質が非常に似ていて、複雑な生い立ちや進学コースまでふしぎに重なるこのひとまわり差の辰年師弟は、出会いの最初から互いに非常に魅かれ合うものがあったようです。
 次は最初の手紙から一年と9か月が経った大正14年7月20日、軽井沢つるや旅館滞在中の堀辰雄に宛てたもの。
 冠省。原稿用紙で失敬。この前君が小説を見せた時、「ハイカラなものならば書き易いんだけれど」と言った。それに僕は「そんならハイカラなものを書くさ」と言った。しかし今考へて見ると、そのハイカラなものと言ふのが写生的なものの反対ならばやはりどんなに苦しくってもハイカラなものを書くよりも写生的なものを書くべきだと思ふ。その方が君の成長にずっと為になると思ふ。これは大事なことだから、ちょっと君に手紙を書くことにした。この前君の見せた小説でもハイカラは可成ハイカラだ。あれ以上ハイカラそのものを目的にするのは君の修業の上には危険だと言ふ気がする。君はどう思ふ?とりあへず前言とり消しまでに。
    二十日夜                                                         龍
 堀君

 いやこんなことぐらいべつに次会った時話せばいいのに、と思ってしまうけど、芥川の性格がよく現れていておもしろい。後輩に対するきまじめな責任感と、「君はどう思ふ?」とワンクッション置いて一方的な押し付けにならないようにする気配り。本当に細やかで気ぃ遣いのいい人柄がしのばれます。文面はわりとグダグダで、ふたりが打ち解けた関係になってきているのがよくわかります。
 次は大正15年3月19日、いつもの原稿用紙で失敬ではなく便箋です。
 お父さんにそんな事はしないでもよいのだと言ってくれ給へ 長命寺の桜もちのいつの間にか餡のよくなつてゐるのに驚いた 世の中は三日見ぬまに桜もちといふ気がした 僕は俗用の為今月は何も書けず不愉快この上なし  頓首
   十九日
 堀辰ちゃんこ様
                                                                   龍

 堀辰雄から送られた「長命寺の桜もち」(足繁く芥川邸を訪れる辰ちゃんこにお父さんが持たせた手土産か?)への御礼と思われる。それにしてもこんななんでもない短い手紙にすら「世の中は三日見ぬまに桜もち」とか何とかうまいこと書かなきゃと思っちゃう芥川の涙ぐましいサービス精神には恐れ入る。常軌を逸した気ぃ遣い。そら死ぬわ。そのくせ「今月は何も書けず不愉快この上なし」とか愚痴ってるあたり、年少の辰ちゃんこへの気安さが感じられてほほえましい。
 対する辰ちゃんこから芥川への手紙は、…えっ!ない?一通も?またまたそんな、ないはずないって。でもない。あったのかもしれないけど残ってない。あるいは公表されてない。芥川の没後、堀辰雄は芥川全集出版のため頻繁に芥川の書斎に出入りしていて、自分の手紙をこっそり回収できる立場にはあったわけだが…でもそんなことする必要ないよね…べつに何か見られるとヤバイへんなやりとりしてたわけでもあるまいし。(と書いてて急に不安になった)思えば芥川からの手紙が上記の三通だけというのもなんか少ない気がする。筆無精といいながらかなりどうでもいい内容でいちいち手紙出してる人だし。まあこの三通だけでも師弟関係を知るのにいいサンプルにはなっているけれども。なんにせよ作家の書簡って忘れたころに発見されることが多いから、この師弟の知られざる手紙が何かの拍子にぽろっと見つかったらおもしろいのに。でも本当にヤバイへんなやりとりしてたらどうしよう。

 5月28日の呼び名 2012.5
 「文学忌」というものがありますね。文学者を偲ぶための命日の呼び名です。有名なものでは太宰治の「桜桃忌」、芥川龍之介の「河童忌」、司馬遼太郎の「菜の花忌」といった作品にちなんでつけられたもの、または「鴎外忌」(森鴎外)「谷崎忌」(谷崎潤一郎)のように氏名やペンネームをそのまま使ったもの。どちらかというと後者のパターンが多いけど、せっかくなら作品にちなんだもののほうが風情があっていい。美しい自然を文学に織り込んだ堀辰雄にはさぞや芳しい文学忌が…、と思ったら!ごくふつうに「辰雄忌」。ええ〜…。いやいやいや、そこはもうちょっとひねろうよ。って今更騒いだってどうなるものでもないけど、だったら私だけでも作品にちなんだ文学忌で呼んじゃおう。というわけで、勝手にいろいろ考えてみました。
 まず思いつくのはベタに代表作から「風立ちぬ忌」。でも堀辰雄の命日は5月28日、緑まぶしい初夏の頃。「風立ちぬ」は秋から冬のイメージで、初夏とはあまりかぶらない。ならば「風立ちぬ」の後日談を描いた「麦秋」にちなんで「麦秋忌」、これなら季節的にもぴったり。でも惜しいことにこの作品、タイトルがあとで「おもかげ」に改題されている。あーもったいない。あらゆる生命が育ち伸びゆく初夏の頃に、ひとり心静かに満ち足りて実り(終わり)を迎える…堀辰雄の人生にも、忌日のネーミングとしてもぴったりの言葉なのに、「麦秋」。残念だあ〜。(文学忌ネーミング問題を別にしても、作品としてもこの改題はもったいないと個人的には思ってる)
 残念と言えばもうひとつ、堀辰雄がその知名度と人気アップに貢献した第一人者といってもいい花、「馬酔木(あしび)」。ひかえめな白色の小さな花が鈴なりに揺れる、その清楚な姿はいかにも堀辰雄の墓前にふさわしい。花言葉は「清純な心」「犠牲」、そして「あなたと二人で旅をしましょう」。これは堀辰雄の「大和路・信濃路」にちなんでつけられた花言葉だという説を聞いたことがあるけど本当かな。本当ならうれしいなあ。「花あしび忌」、いいなあ。しかし!馬酔木の開花ピーク期は3〜4月。5月末じゃ中途半端にズレててちょっと気まずい。
 こうしてみると、季節と合う作品名・書籍名を探してくるのは案外むずかしい。思えば太宰治は実にいいタイミングで亡くなった。「桜桃忌」なんてぬけぬけと綺麗なネーミングもらっちゃって。我が子よりも自分が大事とかうそぶいてさくらんぼ独り占めして食べる話なのに。一方、季節感とあまり関係なさそうなのが梶井基次郎の「檸檬忌」。亡くなったのは3月下旬、別にレモンの花の咲く頃でも出荷ピーク期でもないような…。でもやっぱり代表作だから文学忌として落ち着きがいい。
 ちょっと気になるのが、芥川龍之介の「河童忌」。芥川は自分を河童に見立てていたし「河童」という作品もあるしで納得のネーミングなのだけど、たとえば真冬に亡くなってても「河童忌」になったのだろうか。なんか寒そう。冬の凍った川とか河童いなさそう。水浴びする人間もいないから尻子玉ひっこ抜く仕事もできない。やっぱり河童は夏のイメージ。もし亡くなったのが夏以外だとして、「河童」以外で選ぶなら、どんな文学忌になってたのだろう。たとえば晩秋だったら「蜜柑忌」とか?私は芥川の素直な優しさがにじみ出ている「蜜柑」が大好きなので「蜜柑忌」イチオシ。太宰、梶井、芥川でくだものトリオが組めるし。意味はないけど。それでもやっぱり、芥川の命日の名は「河童忌」がいちばんしっくりくる。河童は龍神の零落した姿ともいう。この世というドブ川に住みかねて、死して龍となるべく、かりそめの河童の姿をみずから捨てたのか…。
 同じ竜ネームの眷族である堀辰雄はしかし、あの世ではなくこの世にひとまずの安住の地を求めた。つらい現実も醜い世情も、風のようにいなすことができた。花や鳥や雪や、自然の美しさを心にそのまま映えさせることができた。この世のほんのわずかな美だけで生きていける人だった。だからこそ!そんな人の文学忌には美しい花や自然の名をもってきたいんだあ!作中には本当にいろんな花が出てくる。辛夷、アカシア、朴の花、躑躅(つつじ)、向日葵(ひまわり)、山茶花…。「美しい村」で象徴的に描かれる初夏の軽井沢の花「野薔薇」忌、なんかもいいなあ。でも作品タイトルじゃないから知名度的にやや難があるか。
 作品タイトルになってる上、季節的にもぴったりなのがひとつある。「四葉の苜蓿(クローバー)」。「四葉の苜蓿忌」、いいと思います。でも「よつばのくろーばーき」…ちょっと長いか。それにマイナー小品だからやっぱり知名度が…。ちなみに四葉のクローバーは土の栄養分が偏ってたり踏まれたりといったストレスの多い場所によく生えるのだという。四葉のクローバー自身にしてみれば決して幸せな生い立ちではないのに、人はそれを幸せの象徴だと喜んで摘む。逆境に耐えたもののみに与えられる、葉っぱ一枚分の特別のしるし。それは目立ちもせず、受けた苦しみを誇りもせず、あまりにもさりげなくそこにあるから、誰もが見落とし、通り過ぎてしまう。でも、ふと足をとめた誰かが摘み取った瞬間、それはかけがえのない幸せのかたちとなる。不治の病そして愛する人々の相次ぐ死という不運な人生を、こともなげに、まるで幸せそうに生ききった堀辰雄は、まさにそんな四葉を摘む人であり、四葉のクローバーそのものでもある。「四葉の苜蓿は 人の近づく跫音(あしおと)に 耳を傾けている」すぐそこにある幸せをことごとくつかみそこねているであろうドンくさい私は、そんな自分だけの小さな四葉を探す気持で、堀作品に触れている。日本固有種ではないけどすっかり日本の風景に調和し日本人の心に溶け込んだ野の草クローバーは、西欧文学を起点としながら日本の美に到達した堀文学を象徴するものとしてもふさわしいと思う。
 もうひとつ、この時期にぴったりなタイトルがある。「巣立ち」。野鳥の雛の羽根が生えそろい、初めて外界に飛び立つ頃。「巣立ち忌」。生命力を感じさせる言葉「巣立ち」と生命の終焉を意味する単語「忌」が並び立つという二律背反、コインの表裏みたいなところも堀辰雄らしくて奥深いではありませんか。死という計りしれない深淵をつねに見つめながら生きていた彼にしてみれば、この世は小さな鳥の巣ほどのものだったのかもしれない。また、彼はその胸に小鳥を飼っていた。肋骨にとまり肺を突っつく結核という名の小鳥。この厄介者を、彼はまるで慈しむように育んで上手に飼いならし、生涯の伴侶とした。うん、「巣立ち忌」いいんじゃないでしょうか。ただ、この作品もちょっとマイナーなんだなあ…「四葉の苜蓿」と「巣立ち」は私の大好き小品ツートップなんだけど。
 で、結局、どれがいいかといえば…決められないや、すみません。「四葉の苜蓿忌」「巣立ち忌」が本命で、ボツにせざるを得ないけどあきらめきれないのが「麦秋忌」「花あしび忌」です。こうなったらもう、その時の気分によって好きなように呼ぶということでいいですか。(じゃあ今までくどくど考えてきたのは何だったんだよ)
 昭和28年5月28日、その日の前夜、信濃追分の地に時ならぬ大風が吹き渡った。それを旅立ちを促す迎えの風と受けとめたのか、堀辰雄は多恵子夫人に冗談めかして別れの言葉を告げたりして、まるでその時を知っていたかのようだったという。生に迷わず死を恐れず、その身をただ自然に任せて生きた彼は、小鳥や草花のようにシンプルで、無力でなおかつたくましい。こと雑駁に生きてしまいがちな現代人に、そんな彼の姿はいろんなものを教えてくれるのではないでしょうか。

 宮崎駿の「風立ちぬ」〜言霊としての「いざ 生きめやも」 2012.12
 宮崎駿監督の来夏公開新作が発表されました。「風立ちぬ」。うおおおおっ!やってくれるんですかっまじで!!!
 宮崎駿の「風立ちぬ」…それは2009〜10年にかけて「モデルグラフィックス」(ミリオタ御用達の模型雑誌)に連載された水彩漫画。零戦設計士として名高い堀越二郎氏の仕事ぶりが描かれています。そこへフィクションとして、結核を患う美少女との恋愛が織り交ぜられてます。つまり堀辰雄の小説「風立ちぬ」からタイトルとヒロインだけ拝借してきた宮崎駿流「堀越二郎伝」という感じ。ちなみにこの漫画は登場人物のほとんどが豚キャラで描かれていて、ゲストとして1ページのみ登場した堀辰雄は唯一のわんこキャラ。映画では皆人間になってる…はず。
 何はともあれ、発表された公式ポスターにまず私は心奪われてしまいました。草原で絵を描く少女の凛とした立ち姿。これはまさしく堀辰雄「風立ちぬ」プロローグを思わせる名シーン!空の青、草の青、そして美少女。この構図こそは宮崎駿の真骨頂!いやがうえにも高まる期待っ!さらにはキャッチコピー。「堀越二郎と堀辰雄に敬意を表して。いざ 生きめやも」映画も見ないうちからこのポスターだけでもう感動のあまりお腹いっぱいになってしまいました。
 一抹の不安はないでもない。「風立ちぬ」について「何度読んでも理解できない」という宮崎駿のコメントをみたこともあるし。なにより宮崎駿は原作クラッシャーである。そもそも零戦が出てくる時点で、小説「風立ちぬ」なんて、原作どころか原案ですらないし。堀作品に敬意を表しつつ、監督の考える、より望ましくより魅力的な世界が新たに組み立てられるのだと思う。個人的には監督の描く飛行機も好きなので二重に楽しみ。でもヒロインだけは全力で可愛く描いてね。まあこれは心配しなくても大丈夫か…堀文学ヒロインと宮崎アニメはきっと相性がいいと思う。
 惜しむらくは、もう何年か早くこの映画が公開されていたら、今年から解体が始まってしまった富士見療養所の建物が、映画舞台の観光名所としてもう少しは存続できたかも…ということ。また堀辰雄の奥様の多恵子さん(2010年4月没)がご存命だったらこの映画化をさぞ喜ばれただろうに…ということ。過去に制作された映画「風立ちぬ」は複数あるけどどれもこれもなんじゃこりゃと叫びたくなるような、それはそれはキテレツな出来だったようだし。同じ原作クラッシュでも、宮崎駿の手にかかればそれは新たな命を吹き込まれ、人々の胸を打つだろう。古き良き日本の姿とともに忘れられかけている堀辰雄の名も、くたびれた現代人の心に思いがけない湧水のような新鮮さでふたたび認識されるだろう。

 前フリはさておき。(長い前フリだな)この映画のキャッチコピー「いざ 生きめやも」。「風立ちぬ」プロローグで引用されているフランスの詩人ポール・ヴァレリーの詩の一節であり「風立ちぬ」を象徴する美しいフレーズ、なのだけど、これは誤訳ではないのかとずっとずっと言われ続けて幾星霜。それをキャッチコピーに使われるのは、うれしいんだけどちょっと複雑。堀ファンとしてはこれがまたぞろ槍玉に挙げられて、知ったか連中が「誤訳!誤訳!」とはしゃぐのが耐えられない。
 「〜やも」は反語なので、「さあ生きよう」と訳すべきところが、「生きられるだろうか、いや、生きられないだろうな」みたいな意味になっちゃうのです。帝大の国文科に所属し、そのくせ仏文科の授業に入りびたって仏文科の生徒よりフランス語が堪能で、さらに国文学者折口信夫に親しんだ人が、そんな初歩的なミスをするものなのか。本当にまちがえてたんならさっさと訂正してるはずじゃないのか。堀辰雄はまちがえたのではなく、わかっていてあえてこの言葉を選んだ、と私は思う。言葉の意味より言葉の響き、いわゆる語感を優先したのでは、という説もある。「風立ちぬ」に続く「いざ 生きめやも」は、典雅な響きのなかに、たしかにきりりと背筋を伸ばした決意の心情が感じ取れる。
 そもそも言葉は生き物、変化する。古代から使われている言葉でも、今と当時ではまるで正反対のニュアンスを持つものもある。たとえば「愛しい」はもとは「かなし(悲し/哀し)」と読まれた。また「いとしい」という読みについては、「厭し(いとし)」からきているともいう。愛することは苦しいこと。哀しくなるし、厭にもなる。それでも愛する。「いとし」に込められたそんな二律背反の響きは、古今東西人類共通の心の機微。「いざ 生きめやも」もまた然り。生きることへの否定も肯定も抱き込んだことによって、この古語には「それでも生きよう」という前向きの言霊が宿った。当の堀辰雄が、自身の生きざまでもってそれを証明した。そういうことでいいんじゃないでしょうか。如何様にも含みを持たせられるのが言葉というものの本来の魅力なのだし。そうしましょうよ、もういっそ。「いざ 生きめやも」はまごうかたなき希望の言葉。天下のジブリがコピーに使ったんだからそういうことで決まり。ケチつけるのとかはなし!

 余談だけど宮崎監督には「芥川龍之介の探偵もの」やりたい、という希望もあったそうなので、そっちもほんのちょっと期待してた。風立ちぬと芥川探偵、どっちに転んでも私が喜ぶ。ちなみに「崖の上のポニョ」は夏目漱石にインスパイアされた作品だという。監督!こうなったらもう夏目漱石―芥川龍之介―堀辰雄(+立原道造)の「文学師弟」ラインをオール制覇してください。龍之介のはジブリ美術館用の短編とかでもいいから!そのかわり!BD(DVD)だけは出して…。(←先走りすぎ)
 さらに余談、「風立ちぬ」と同時に高畑勲監督作品「かぐや姫の物語」も公開予定という。かぐや姫こそファンタジーの名手宮崎駿が扱うべき題材のような気がするけど、そこをあえての高畑監督。高畑勲は優良な原作の魅力を最大限に引き出せる監督なので、映画「火垂るの墓」をはじめ世界名作シリーズ「ハイジ」「赤毛のアン」や「じゃりン子チエ」といった名作は数多い。その一方、独自アレンジの「となりの山田君」は興行的にえらいことになり、そこそこヒットした「おもひでぽろぽろ」も人気作かと言われれば、うーん…だし。完全オリジナルの「平成狸合戦ぽんぽこ」は全体的にはおもしろいけど、なんかところどころイラッとする。このイラッの原因は、いわゆる説教くささ。映画というツールを使って大衆を啓蒙したい、思想信条を披露したいという姿勢が露骨で、そこで私は少なからず参ってしまう。宮崎監督にも他の監督にもそういう要素はもちろんあるけど、この理詰めのインテリ監督にはそれがとくに顕著で、映画としてのおもしろさよりもそれを優先させた結果、「なんかおもしろくないほうのジブリ」というイメージがついてしまってる。(まあこれはジブリの非・宮崎作品のすべてに言えることだけど。「ゲ○戦記」とか、もう…)
 その高畑監督が、かぐや姫をどんな作品に仕上げるのか。「昔の物語をそのまま描かない」「かぐや姫はわがまま娘=現代の娘」なんてインタビューを見る限り、悪いけどイヤな予感しかしないんだけど…。「わがまま娘」ってのがまた男の目線だなあ。姫の言い分もあるだろうに。自分の美貌を喜ばず自分を愛せず恋にも心を閉ざす娘。そこにはきっと誰にも言えない、誰にもわかってもらえない孤独と悲しみがある。その繊細な心理を「わがまま」で片づけられちゃなあ。しかもかぐや姫を通して現代の娘を描くって。現代社会の風刺に古典を持ってくる芥川龍之介方式ですか。アンの気持がさっぱり理解できないからと下手な解釈をせずひたすら原作に寄り添ってつくった結果人気作となった「赤毛のアン」などは、みずから無心になって素材のほうに身を寄せていく堀辰雄方式で、高畑監督にはこっちのほうが向いていると思うんだけど。「愚民に物申したい」「自分カラーを出したい」がゆえの原作アレンジほどあぶないものはない。うまくハマればおもしろいけど失敗すれば単なるひとりよがり。さむい。ひたすら癇に障るだけ。(その最たる失敗例がジブリの黒歴史「ゲ○戦記」)宮崎駿のほうは基本「おもしろく見せたい」がゆえのアレンジ(というかクラッシュ)だから楽しいんだけど。でも、引退がささやかれるような高齢で、非・ファンタジーという今までにないジャンルに挑戦する宮崎駿、ファンタジーという不向きな素材を手掛ける高畑勲、どちらもこれはたいへんな冒険。批判を恐れ若いうちから守りの姿勢に入ってしまっているいまの青少年たちも、この不敵なバイタリティに触発されてほしいものです。
 なんにしてもまだ予告映像すら見てないものを今からとやかく言っても始まりません。でもとやかく言いたくなるほど待ちきれないんですよ!楽しみなんです。そしてひそかに来年夏の文庫本フェアにも期待を寄せてます。さあ新潮!角川!集英社!その他もろもろ出版社!(←失礼だろ)アップをはじめてください。とりあえず新潮は「新潮文庫の100冊」ラインナップに「風立ちぬ」を復活させるべし。角川は創始者角川源義の志を思い出しこんな時代だからこそ堀辰雄をプッシュすべし。そして私はちょっと落ち着け。宮崎駿の「風立ちぬ」は映画化する、きっとする。こんな願い(妄想)を込めた言霊が、このたびズバリめでたく的中したからって。
※補足…年が明けて2013年春、キャッチコピーは「堀越二郎と堀辰雄に敬意を込めて。生きねば。」に替わりました。「いざ生きめやも」が「生きねば」と訳されたことになるのかな?「生きねば」は、宮崎駿の「風の谷のナウシカ」(漫画版)のクライマックスを締める大事な言葉でもあり、ぴったりなコピーの気もする、けどもうちょいひねってほしかった気もする。そして、やはりというか「かぐや姫の物語」のほうは公開延期(秋以降)になりました…

 「波風立ちぬ」〜映画「風立ちぬ」レビューのための長い長い前フリ 2013.10
 風立ちぬ、今は秋。夏に観た映画「風立ちぬ」の感想を、すっかり秋になって書く。なぜこんなことになったのか?――あの映画に対する評価が、私の中でずーっとフラフラしていたからです。(今もしてる)
 私は堀辰雄ファンです。しかも宮崎駿ファンです。なので「風立ちぬ」は、好きな宮崎アニメのぶっちぎり一位になるはずでした、観る前までは。しかし、なんということでしょう。まず試写会で観て、公開初日に観て、次週にもう一度観て、観れば観るほど…モヤモヤが広がっていきました。「あー…私この映画なんかハマれないわ」そんな結論に達するまでに、というかそんな自分の気持をいさぎよく認めるまでに、ずいぶん時間を要しました。
 制作発表の時からずっと期待をつのらせていた私です。その事実を認めるのはつらかった。大絶賛の感想文を書いて、そんな自分の気持をねじふせようともした。「褒めねば。」!…しかし、書こうとすればするほどだめなんです。褒め言葉の合間合間に、どうしても鬼のツッコミが入るんです。自分の中で納得できかねる部分が、次々と露わになってくるんです。
 参考までに、ネットとかで他の人の意見もいろいろ読んでみました。結果ますます心がすさみました。(Yahoo映画レビューなんて覗くもんじゃないね)これはいかん、精神衛生上よくない。いったん風立ちぬから離れよう。「ヒックとドラゴン」(日本配給の宣伝が下手くそすぎて大コケした不幸なアニメ映画)DVDを観たり、古い少女漫画を読み漁ったり、クラシックを聴いたり、宇宙の果てについて考えたりしました。しかし、いつまでもそうしてばかりいられない。まがりなりにも堀辰雄ファンというガラパゴスサイトの管理人として、ずっと黙っているのは居心地悪い。
 なんかこう…とりあえずひとことで言いますと、出来はいいけど(いいからこそ)たちの悪い同人誌(※高尚な文芸誌のことじゃないよ!いろいろけしからん薄い本のことだよ)でも見せられているかのようなやるせなさ。堀文学のいろんなシーンが美しいジブリ絵で見られるのは嬉しい、でもそれらを使って表現しようとしているのはほかの誰かの人生でありテーマであり、それが堀文学の抒情をもって美化するにふさわしい対象であればいいのだけど、どうもそうとは思えない。無理やり感が否めない。素直に堀辰雄の作品や彼自身の人生を追っているほうが、よほど自然に、尊い美を感じられる。
 せめて映画としておもしろく皆が楽しめるものに仕上がっているならいいけれど、これがまた、何とも。どんな原作やテーマを持ってきても、観客を楽しませることだけは忘れないのが宮崎駿だった。おもしろくなさそうなものを、万人に向けておもしろくしてくれる名手だった。それが今回、観客がまるで眼中にない。利己的な妄想の赴くまま突っ走り、おもしろいおもしろくない以前に、びっくりするほどのひとりよがり。「意味わからん」「つまらん」と怒る(というより戸惑う)観客が多いのも無理ない。赤の他人のヲタトークに延々二時間つきあっていられるほど、観客もお人好しではないのだから。
 私は原作クラッシャーの宮崎駿が好きでした。しかしいざ自分がクラッシュされる原作ファンの側となると、理屈では片づけられない切なさがこみあげるものなのですね。堀作品のシチュエーションはそのままに、別な名前の登場人物たちが堀作品とはまるでちがう意思を持ち正反対の行動を取るこの映画は、堀作品へのオマージュというよりは、やっぱりどうみても同人誌。「こうだったらいいのに」「自分ならこうする」と実在の人物や既存の作品を勝手にいじくり、元ネタよりさらにイチャイチャさせたり無関係の人とからませたり自己投影用の架空の人物をつくったり…。まるで腐女子の所業じゃないっすか。
(そういやこの映画、ジブリにはめずらしく腐女子が湧いてるようですね。まあいかにもなシーン多かったもんね。制作サイドにそういう入れ知恵する女子がいたのかと思うくらい。残念ながら私は少しも萌えませんでしたが)
 とはいえ堀辰雄「風立ちぬ」はこの映画の“原作”ではない。原作と呼べるのは、宮崎駿の戦闘機マンガ「風立ちぬ」のほう。つれづれなるままに描かれたこの趣味まるだしマニアック漫画のほうが、堀辰雄成分が少ない分、逆に堀辰雄オマージュが濃かったと思う。この原作漫画を先に読んでいたから、私は映画のほうにも心置きなく期待していたのです。飛行機づくりの精神に堀辰雄の詩が引き合いに出されてるし、何より堀辰雄がきちんと堀辰雄として出てくるし。ほんの数コマだけど。ヒロイン菜穂子の出番も少ないけど、漫画の菜穂子のほうが恬淡としたシンプルな魅力があって、堀文学ヒロインっぽかった。映画の菜穂子はいろんな堀作品ヒロインのおいしいとこ取り+宮崎駿の理想の女性像を詰め込みまくりで、盛りすぎ。嫌いじゃないけど。(イチャイチャが過剰なとこはちょっとイヤ。なんべんも言うけどやっぱりノリが根本的に同人誌)
 そしてキャッチコピー「堀越二郎と堀辰雄に敬意を込めて。」初めて目にした時は感激しました。でも映画を観て、あらためてこのコピーを見ると、違和感がすさまじい。(ついでにいえば「生きねば。」もしっくりこない)堀越二郎と堀辰雄、まったく無関係のふたりの人物をまぜこぜにして、でも名は「堀越二郎」のまま。何も知らずに観た人は堀越二郎があんな恋愛したと思いますよね。「この映画は、実在の人物、堀越二郎の半生を描く――」って予告映像で煽ってるし、実際、映画観た人に聞いたらそう思い込んでる人がすごく多くて、しかも「で、堀辰雄って誰?どのシーンで出てきた人?べつにいいけど。二郎萌えー(or菜穂子萌えー)」とか言われるのは堀ファン的にやるせなかった。
 逆に、零戦開発の映画だとワクワクして観に来たミリヲタは「こんなぬるい恋愛パートいらねえええ!もっと戦闘機を出せ」と不満だろうし。その気持もわからないでもないけど、「かの有名な堀越二郎様の人生に堀ナントカとかいう誰も知らんしょぼい奴のエピソード勝手にまぜんな!」なんて感想をわりとちょくちょく目にしたら私もちょっぴり悲しかったですよ。うそ。はらわた煮えくり返ってた。そして、本気で落ち込んだ。かつて傷つき疲れきった日本国民の心を大いに癒してきた堀辰雄の名が、この平成の世にどれだけ忘れ去られているかという現実を目の当たりにして。
 …だからなのか。太宰治とか夏目漱石みたいに熱狂的ファンがいないから、こまかいことなんぞ誰もわかりゃしないしうるさく文句も言わんだろうと気軽に他人とまぜたのかっ!(まぜたどころか名も残らない一方的な吸収合併でございます)い、います…いちおうここに。絶滅危惧種ですけど堀ファンいます。ゴマメの歯ぎしりしかできませんが、います。
 堀越二郎や堀辰雄をよく知る人にとっては釈然とせず、よく知らない人はいち監督の妄想を実話と勘違いしてしまう、いろんな意味で罪つくりなこの映画。キャッチコピーとは裏腹に、実在の人物(とそれに伴う史実)に対して相当失礼なことをしでかしているのです、たとえ関係者の承諾があったとしても。
(どうでもいいけど堀越氏サイドにはすごく配慮して御子息に映画化の許可をもらいに行ったり試写会に呼んだりスタッフロールに御子息夫妻の名を連ねたりしてるけど堀サイドにはなんもなしですか。そりゃ著作権は切れてるし、堀辰雄に実子はないけど、奥様の多恵子さんの姪で堀家の養女になった方がいらっしゃるんですけど無視ですか。多恵子さんが亡くなったすぐあとぐらいから映画化の話が進みだしたのも今にしてみるとなんかあやしい)
 だから「堀越二郎と堀辰雄に敬意を込めて。」なんてそらぞらしいコピーのかわりに、「この映画の主人公は堀越二郎と堀辰雄ふたりの人物をごちゃまぜにした上、宮崎駿の個人的妄想を大いにねじ込んだ架空の人物です」と超でっかい字でドーンと強調して書いててくれたほうがよかった。そのほうがよほど両氏への敬意、なにより観客への誠意を示すことになると思う。
 痛感したのは、宮崎駿は純粋にオリジナルのファンタジーだけつくっててほしかったということ。原作アリでも架空の話ならまだいい。実在の人物や歴史上の事件は、扱うべきでない。あれだけ思い切りよく、でっちあげた妄想を独善的に、しかも魅力的に、妙な説得力をもって描くものだから、そしてそれがものすごく世に影響力を持つのだから、罪深い。司馬遼太郎作品にも通じる罪深さ。なまじ史実に沿って実名の登場人物を使ってリアリズムを標榜しておきながら、いざ批判を受けたら「いいんだフィクションだから」と逃げちゃうのも卑怯。そんな無責任なノリで歴史=国民の共有財産に手を出さないで。たとえば源平合戦あたりの古典の時代ですら、宮崎駿に扱わせるのは危険だなあ。(高畑勲はもっと危険。ダメ。ゼッタイ。)長編映画からは引退というけれど、短編でもイヤだなあ。
 私は宮崎駿の「夏目漱石&芥川龍之介探偵モノ」を見たいとかねがね願っていました。でも、この映画を観てしまった今となっては、「頼むからつくらないで」という気持でいっぱい。宮崎駿の芥川観がまた、芥川の人間性を買いかぶりすぎてるからなあ。彼の持つ負の部分(そこが肝なのに)から目を逸らし、ただの気のいい好青年としての芥川像をでっちあげそう。そしてその妄想の産物を高々かかげ、「堀越二郎をバカな堀越信者たちから取り戻した!」よろしく「芥川をバカな芥川ファンから取り戻した!」なんていうのは本当にやめてほしい。
 これだけあげつらっといてなんですが、私はこの「風立ちぬ」がダメな映画とは少しも思わない。美しい映画だと思ってる。余計なもの(本来は余計なもので片づけてはいけないこと)をことごとくそぎ落とした、ただただ美しいだけの映画。その、美しいだけのところに価値がある。(当然、問題もある)ほかの誰にもつくれない稀有の映画です。観るたびに涙腺がゆるむ。ええ、泣いちゃうんです。心に響かないわけじゃない。これだけあれこれ不満抱えた人間をも泣かせることができるのはすごい。大ヒットしているのはうれしい。評価が高いのもうれしい。観る人は選ぶけど、観る人によってはかけがえのない人生の糧になる、そんな力をもつ映画。だからひとりでも多くの人が観ればいいと思う。好きになる人が増えてほしいと思う。なんだかんだいってもやっぱり私は宮崎駿ファンだから。
 そう思う一方、宮崎駿ファンだからこそ、また堀辰雄ファンとして、個人的に残念だったり納得いかない部分も厳然として存在するから、つらいのです。ほめたいけどほめたくない。「風立ちぬ」のことを考えると心が疲れる。そして私は夜空を見上げる。宇宙の果てってどうなってるんだろう。探査機ボイジャーはいまどこを飛んでいるのかな。イプシロンロケットも無事飛び立ってよかったな。そうしているうち月日は過ぎ、見上げていた夏の大三角はいつしか地平に姿を消し、秋の大四辺形・ペガスス座が天空高くを駆けているのでありました。
 秋風吹け吹け、もっと吹け。夏のほてりを吹き飛ばせ。あの映画と冷静に対峙するには、いましばらく時間が欲しい。一年後ぐらいなら、落ち着いて少しはまともな感想が書けるかも。映画以外のことで、宮崎駿のインタビュー発言等について「こんにゃろ」「ひどいっ」と思っていることなども、一年たてばどうでもいいことに変わるかも。
 「こんにゃろ」「ひどい」と思ってること一覧↓
・堀辰雄を勝手に共産主義者のお仲間認定しないでください。堀田善衛氏のフカシ…真偽の疑わしい伝聞をさらに我田引水して「堀辰雄は社会主義国家を望んでいた」とか決めつけないで。共産主義者の友人はたくさんいたけど、そんな友人たちに囲まれても誘われても生涯一度も共産主義に傾くことなく「共産主義は天然痘のようなもの」とまで言い切った人、それが堀辰雄です。(だからといってもちろん国粋主義者というわけでもない)
・「堀辰雄は震災時すがりつこうとした船に突き放されて溺れそうになったところを知人に助けられた。彼にとっては助けられたことより他人に突き放されたことのほうが大きかったのではないか。」???なにその謎解釈。なにその被害者意識。むしろ逆では。堀辰雄はわが身の不運より幸運を見つけながら生きることの出来た人です。そもそも誰もが生死の境をさまよったあの未曾有の災害時に、そんなことを根に持っていちいち傷ついてられるか。ふつうに彼の人柄や作品に触れていれば、あのとき彼を揺るがしたものは母を亡くしたこと以外にないとわかるはず。
・「堀越二郎は被災してないが堀辰雄は震災に遭ってますからね」(だから震災のエピソードを入れた)という発言もなにか堀辰雄の受難に対して無神経な気が。そしてその発言のすぐあと「堀越氏の御子息は喜んでくれたのでよかった」と続くのもちょっと悲しかった。
・さらに映画の菜穂子のキャラを堀越氏御子息の奥様が「義母(※堀越二郎の妻)は本当にああいう人だった」と喜んでくれたのもよかった、とも。一応本来のモデルである矢野綾子(と堀辰雄)の立場は…。いやもういい。いいよもう。何もかもむしり取っていくがいいさ。
・半藤一利氏に、病床の菜穂子の某セリフ(とシーン)は堀辰雄「風立ちぬ」の一場面そのものですねと指摘され、「そんな文章ありましたっけ?(忘れた)」。半藤氏も「たしかどこかにあったはず…もしかして別の作品?」と自信なさげ。…あ、あります。しかもズバリ「風立ちぬ」で正解です。カストロプ氏のクレソンもりもりシーンは「エトランジェ」(どマイナーなエッセイ作品)からの引用だろうし、好きな作品にこれまたマイナーな「晩夏」を挙げてるあたり、堀作品の愛読者なのは確かなのだろうけど。読んだ本の都合のいい部分だけ記憶して都合よく意訳して自分のものにして、自分のものにしたあとは引用元のことなんてキレイサッパリ忘れちゃう…というのはある意味正しい読書術なのかもしれないけど。自作の映画に引用した重要なシーンを「そんなの忘れた」とケロッとされるのは何かなあ。「敬意を込めて。」と言っておきながらなあ。ただ、あのセリフ(シーン)は、堀作品からインスパイアされたというよりは、女性からこんなこと言われたい!という宮崎駿の自己肯定願望から生まれたもののような気がする。
↑一年たったら「まあいいや」と思えそうなこと一覧、おわり。
 でも、そんなことは横に置いといて、なにより感謝したいのは、この映画のおかげで平成の世に堀辰雄の名がふたたびすこしは知られるようになったこと。いろんな書店の文庫ランキング棚に「風立ちぬ(堀辰雄)」が毎週ずーっとベストテン入り(しかも上位)で並べられているのを見るのがうれしくて、私はこの夏、意味なく書店前をいつまでもウロウロしている不審人物でした。著作権切れでいまや青○文庫とかで好き放題に読める堀辰雄の本を、みんながわざわざ買って読んでくれる!この映画に私がいちばん期待したのはまさにそこ。それがいちばん重要なこと。この映画をきっかけに、誰かが堀辰雄にも興味をもってくれたらいい。作品を読んでみてほしい。この点では申し分のない結果をもたらしてくれたようで、もうそれだけで、映画に対する微々たる不満はチャラになります。
 「風立ちぬ」――。ファン(宮崎駿、堀辰雄いずれも)ゆえのこだわりの悲しさで、ちまちましたツッコミが先に立ち、個人的には素直に見つめることの出来ない映画になってしまいましたが(月日が経てばまたかわるかも)、誰かにとって、かけがえのない作品になればいい。そういう気持を込めて、もはや初冬の気配すら匂わせはじめた秋風に背を押されながら、心は千々に乱れたままなれど、あらためて感想文を書いてみました。

 「美しかれ、悲しかれ」〜映画「風立ちぬ」レビュー 2013.10
 「お能は見ただけではそう面白いものではない そのとき見たものを一つのimageとしてもっていて、何度となく思い出していてごらん、だんだん好くなってくるから…」これは、お能(能楽)を観にいった妻に堀辰雄が宛てた手紙の一文です。
 今までの宮崎アニメが“見せる”サービス精神にあふれた歌舞伎だとすれば、この「風立ちぬ」はまさに能。よくぞここまでというくらい、説明やケレン味を省略しまくってます。昭和初期の時代や飛行機開発に興味のある人、あるいはものづくりに携わっている人ならば、それなりに理解できるし楽しめるでしょう。しかし興味のない人たちを引き込ませる、おもしろがらせることこそ作り手の腕の見せどころ。それを丸投げです。わからなければわからずともいいと、まるで開き直ったかのように何の説明も補足もしないまま、すべての解釈を受け手のがんばりにゆだねてます。だから、退屈と思う人もいれば美しいと思う人もいる。「奥が深い」とのめり込む人もいれば「わからない」と投げ出す人もいる。評価が割れるのは当然です。なにも知らない素人に、ガイドもなしにいきなりお能を観せたって楽しんでもらえるはずがない。そもそも観客はお能を観たくて映画館に来たんじゃない。アニメ映画を観にきたんです。
 アニメ映画に求められるのは、ストレートなおもしろさ。息をもつかせぬワクワク感。ことにそれが、数年おきの一大イベント・宮崎アニメ映画ともなれば。躍動感があって、笑えて、奇想天外で、登場人物たちが元気いっぱいで、観ているだけでおもしろい、二時間まったく飽きることがない。それが宮崎アニメ本来の持ち味。「退屈」「寝てしまった」「盛り上がらないまま唐突に終わった」こんな批判は、今までなら決して出てこなかった類のもの。そしてそれらは、堀辰雄文学に向けられてきた批判とまったく同じものでもあります。
 宮崎駿はこの「風立ちぬ」で、堀辰雄作品のタイトルとモチーフだけでなく、そのタッチ(作風)をも取り込んでいます。これはたいへんな賭けです。詩情にみちた水彩画のような淡いタッチで、堀辰雄の描くような世界…美しい自然や静かな療養生活や悠久の大和路の旅…を描くというならまだしも、ハードな戦闘機開発の物語を描き出そうというのですから。戦闘機設計士と文学者の人生をごちゃまぜにしてひとつの「美しい」映画をつくろうなんて、ほかの誰も思いつきません。やる意味がわからない。その突飛な発想力、そしてそれを押し切ってやってしまう実行力はいかにも宮崎駿監督ならではです。
 さらにややこしいことには、そこへ監督自身の私小説的要素をもおっかぶせている。何ともはや、おそろしいほどひとりよがりな映画です。宮崎駿の弟子であり戦友であり(作風は正反対だけど)分身ともいえる庵野秀明を主役の声に据えたことは、まさに「ひとりよがり」の画竜点睛。この映画が他人の人生・他人の作品に名を借りた宮崎駿の私小説であることの何よりの証です。あの声は、この映画のぶっきらぼうさをみごとに象徴している。この映画を堪能できるか否かは、そういう、能面のごとくぶっきらぼうな他人の私小説にはいっていけるかどうかにかかっているともいえます。
(※ただしそこは堀辰雄タッチですから、むやみやたらと暗さ汚さでリアリティを持たせようとする近代日本独特の私小説とくらべたら、はるかに明るく、やさしく、すこやかな世界です。その優美さにつられて、はいっていきやすいといえばいきやすい。テーマ云々は置いておいてそういう美しさだけを堪能するというのも、この映画の楽しみ方としてはありです)
 飛行機開発のドラマも恋愛物語もやりたい。プラス監督の私小説。そんな欲張りで身勝手で大胆な賭けが、では成功したのかというと…。同業者や評論家陣には受けがいいようですが、映画は大衆に受け入れられてこそ。100億円超の大ヒットとはいえ、あのジブリの黒歴史「ゲド戦記」だって70億円以上稼いでいるのだから興行成績は参考にならない。世の評価がこれだけ割れている現状を見るに、監督の思いが観客ひとりひとりにきちんと届き、その胸に響いているかといわれると、とてもそうとは言い切れない。万人向けでないことは確かです。
 歴史、ことに近代を扱うともなれば、それが戦争にも関わるものだとすれば、つかみどころのない風のようにふんわりと描いていいテーマでは本来ないはず。一介の文学者と戦闘機設計士の人生を取り替えたことで、主人公の「時代に流されずただ美しいものをつくりたい」という願いはより切実な問題として浮かび上がってはいます。しかし時局に合わせた作品をと言われても断固応じず美しい小説を書き続けた堀辰雄に心を寄せるようには、この映画の主人公に素直に肩入れできない。国家プロジェクトである戦闘機開発を、プライベートな芸術活動――文筆業や映画製作等と同列に考えるわけにはいかないのです。
 彼の仕事には、彼個人の夢のみならず、国家と国民の命運がかかっています。つねに強い責任感と誇りを胸に抱いていてほしい。なのに、当の本人はまるでふわふわ夢みる少年。国や戦争のおかげで仕事ができることに思い悩んだりもしてみるセンシティブなお坊ちゃん。どこまでもきれいな夢と恋と情熱に生きていたい。いち作家やいち映画監督なら許されても、戦闘機の設計士がそういう姿勢では困る。己を捨て、恋も捨て、傷ついても汚れてもただ「国のため」「勝利のため」一心に仕事に励んだストイックな青年技師の感動悲話というのなら、あるいは逆に「国家も戦争も知ったことか!俺は俺のためだけに理想の飛行機をつくるんだ」とうそぶくいかにも露悪的なマッドエンジニアのピカレスクロマンなら、物語にする甲斐もあるのだろうけど。
 暗黒の時代を生きた戦闘機開発者。ふつうに描写すれば当然描かざるを得ない(描きごたえがあるともいえる)負の部分、暗い側面を、監督は描きたくないらしい。そこを回避するためには、なるほどこの上澄みだけを掬い取るような淡々としたもの静かな堀辰雄タッチと、「ただ美しいものをつくりたかった」という悲壮なテーマはうってつけの落としどころ。そこへ、死の病に冒されつつけなげに生きるお嬢様との恋。これをそのまま実在の戦闘機設計士のものとすれば…、内省的な青年の、つつましくも可憐な私小説の出来上がり。このあたりの切り貼りの小細工感が、気になる人はとことん気になる。なにかうまいことだまされているような、肝心なところをはぐらかされているような違和感を覚えるのです。思ってたのとちがう。零戦開発にかける「男のドラマ」を期待していた観客などは、想定外の女々しいメロドラマに憤慨することになるのです。
 もちろん宮崎駿はあの主人公をただ美化したかったわけではない。夢追う者(クリエイター)としての業の深さを描きたかったのだと思います。「いい青年」の顔の端々に、夢に憑かれた狂気やエゴイズムがちらつきます。無口で無表情、たまに発する言葉もとんちんかん。仕事にかかるとまわりがまったく見えなくなる。ただ、そんな“変人”主人公を、周囲の誰もが理解し、温かく見守り、すすんで仕事しやすい環境を整えてくれるから、すべてが気持よく流れてゆき、この主人公のもつ暗い澱みに気づきにくい。変わり者っぷりは単なる愛嬌、仕事への打ち込みぶりは狂気というより熱心さと映り、彼が実は己の夢のためなら何もかも踏み越えていけるエゴイストであるという面は、よほど意識して見ないと観客に伝わらない。ここが伝わらなければ、ただの甘い青年の甘いメロドラマで終わる。そして評価も低くなる。もっと心も凍るようなセリフやシーン、えぐい人間関係の描写を入れて、それをわからせる演出もできたはずなのに。
 宮崎駿が「火垂るの墓」ではなく「となりのトトロ」の監督であることを強く再認識させられます。人間の生々しい残酷を描けない。現実の醜さを、醜いまま観客に示せない。憎まれる人間を描きたくない。主人公を、その世界を、理想と優しさで包まずにはいられない。冷厳な神の視点からでなく、ただただ愛しさのため、強く願いを込めずにはいられない。「美しかれ――」と。
 そういう意味では、やはりこれも立派な宮崎アニメ。「こうである」と示すのではなく「こうであれ」と願う理想のファンタジー。ただし今回は観客を楽しませるためでなく、監督の自分語りのためだけの超プライベートなファンタジー。実在の人物の名を冠した主人公自体が、いちばんのファンタジーになっているという皮肉。そんなファンタジー主人公=私的偶像に観客がするりと乗っかってシンクロできれば、あるいは恋することができれば愉快なのだろうけど、そうでなければ苦痛です。赤の他人のナルシズムなんて見せられたって楽しくない。好き嫌い以前に興味が持てない。そのうえさらに複雑な時代を背負わせて、あれこれ説明はしない、各自ですべてを察してくれ(好意的に)、と望むのは、ちょっとばかり虫が良すぎるかも。それほどまでにわがままで、ひとりよがりなつくりになっているのだから。「ほかの人にはわからない」(エンディング曲「ひこうき雲」より)。こんなつっけんどんな言葉がありますか。今まであの手この手で楽しませてくれていたニコニコ顔の宮崎駿に急にぷいと背を向けられ、そのまま振り向いてもらえないような不安と淋しさを、観客は今回、初めて感じているのです。
 しかし、それでも、いや、だからこそ、この映画は美しい。余計なものを振り払い、エゴイズムを極めた美。突き詰めるべき現実や語られるべき問題も、この決然たる美の前には据え置かれてしまう。(それゆえ危険で、だから叩かれる)過去につくられた堀辰雄作品の映画がどれもこれもイマイチで原作とは別物になってしまっていたことを思うと、他者の人生を持ってきていちばん完全な「別物」になっているはずの今作「風立ちぬ」は、その描写の繊細さ、奥ゆかしさ、味わい深さ、なにより美に徹する潔さにおいて、先人がことごとく失敗してきた堀文学の映像化に、初めて、唯一、成功したのではないかとも思えます。
 だから、つまらない人にはとことんつまらない。演出次第で盛り上げどころ、泣かせどころはいくらでもあるのに、あえてそれを描かない。おもしろがらせようという工夫やサービス性もない。徹頭徹尾、淡々と。人の世の醜さや苦しみ、時代の激動は遠景に追いやって、自分の持てる小さな世界の美しさにのみ没入する。「美しいところだけ」見つめ、見せる。それはとても覚悟のいること。堀辰雄は、その人生において常人よりよほど受けてきた傷や重ねた苦しみを、少しも見せびらかすことなく、作品の中で美しい言葉に昇華させてゆきました。それがため、苦労をしてない、世間を知らない、きれいなものしか見ていない、等の的外れな批判を受け続けました。そんなものを意にも介さず、ただ最後まで自らの信じる美を、「人々の心にしみいるレクイエムとしての文学」を追求し続けたのです。
 「自分はこんなに苦しんだ」「醜い社会でこんなに傷ついた」「時代はこんなに残酷だった」と声高に叫ぶことなく、人生の生きにくさ、それがゆえの美しさを伝えること。それが、どれほどむずかしく、どれほど勇気の要ることか。批判や誤解を恐れぬ覚悟と忍耐を、いかに強いられることか。このたび宮崎駿が、それらを承知でこういう言葉少なな作風に挑んだその姿勢に、テーマの是非やその成否はともかくとして、私はいたく心を打たれました。
 一機も帰ってこなかった零戦、そして儚く消えた愛する人。その幻影を見送りながら、この映画の主人公のもとに残ったのは果たして絶望とむなしさだけでしょうか。堀辰雄「風立ちぬ」の最終章では、たったひとり残された「私」は、「死のかげの谷」と呼んでいた住処を、いつしか「幸福の谷」と認めるようになります。ひとりになって、時を経て、彼は彼だけの幸福を手に入れた。それは大風に煽られながらひたむきに生きた者だけに届けられる、深い悲しみの底からのみ立ちあらわれる、微風のようにかそけき幸福。
 人生を懸けて叶えた夢、一心に愛した人。それらを失くしたあと、力を尽くしきったあと、残り火のような心もとない生に向かってどのような一歩を踏み出すべきかを、この映画もまた問うているのです。風は吹き続けています。クライマックスの主人公の述懐は、ほんのふた言三言であるがゆえ心に響きます。零戦開発者という功罪を背負う人物を主人公に据えた「風立ちぬ」、という試みは、ひとえにこの侘びしい赦しのラストシーンのために意義のあるものだったと思えます。
 「美しいもの」は人の心を狂わせる。しかしひたむきであるための、ひとすじの救いにもなる。戦中、若い兵士たちの間でもっとも読まれていたのは、、勇ましい愛国詩でも悲壮なプロレタリア文学でもなく、戦争とはまったく関係のない静謐な堀辰雄の文学でした。戦地に赴く際、彼の本をお守りのように背嚢に入れ持ち歩いていたという矢内原伊作は、次のように述べています。「予備学生が堀辰雄の文学を愛したのは、それによって現実を逃避するためではなく、それによって現実に打克つため、死を前にしてその僅かな生命を一杯に生きるためであった」「堀辰雄の世界は美しく純粋だけれどもせまくて弱い、こういった俗説をぼくは少しも信じない。美しく純粋なものがどうして強くない筈があろうか」宮崎駿がこのエピソードを知っていたかどうかわかりません。ただ、このたび彼がつくろうとしたものは、まさにこのような、美しさでもって人の心を救わんとする「強い」映画だったと思うのです。そして実際、この映画は、万人とはいかないけれど、少なからぬ人たちにとって、かけがえのない一作となったはずなのです。
 私としては、この映画を絶賛するつもりはありません。宮崎駿の最高傑作だとも思えません。待ちに待った宮崎アニメは、しかもこれが最後の作品となるのならなおさら、何よりもまず万人をニコニコ笑顔にさせる楽しいものであってほしかった。いち堀辰雄ファンとして物申したいことも少なからずあります。しかし、この映画がほかの誰にもつくれない美しい映画であることにまちがいはなく、誰もが一度は見ておくべき映画だとも思います。最初に観た時の感想が「嫌」とか「不愉快」だったなら、それはもう仕方がない。何度観てもたぶん同じ。好みは人それぞれで、どちらがまちがっているわけでもない。ただ、「よくわからない」「おもしろくなかった」のなら、根気強くもう何度か観てみれば、あるいは数年後にもう一度観てみれば、またちがった感慨が生まれてくるかもしれません。堀辰雄の小説のように、回を重ねるごとにじわじわと味わいが沁みてくる映画ですから。
 小さな子供が楽しめない、という点は擁護のしようがありません。夢が叶う物語ではなく、叶えた夢のためにすべてを失う物語の意味を理解するのは、子供には早すぎる。でも、観るべきでないとは言いません。むしろ、小学校高学年以上なら、ちょっと背伸びする気持で、難しめの本を読む感覚で、トライしてみてほしい。砂糖菓子のように甘く楽しい娯楽に囲まれて過ごす夢いっぱいの子供たちが、この美しくもにがい映画のにがさをずっと覚えるともなしに覚えていて、いつか目を開けて見る夢の苦しさを知る大人になったとき、そのにがさが味わい深いものに熟成されているといい。子供のころ一度出会っていた作品は、再会の時、なつかしい友のように、きっと力になってくれる。誰かにとってそんな作品のひとつに、この映画はなれるはずだと思います。ゆえに私は、冒頭に引用した堀辰雄の言葉を、この映画をこの夏楽しめなかった人たちに、とくにこれからの若い世代に向けておくります。 



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